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2020年4月19日
退院当日。
主治医の先生が来てくれた。
晴れてよかったね。準備できた?と。
また外来で会いましょう、と先生。
時間もできると思うので、自分でリハビリも頑張って👍と。
お世話になりました。
ラストデイ。看護師さんたちが忙しい中
見送ってくれた。
12時過ぎ、退院。
入院が長かったから、
看護師さんたちとここまで距離が近い。
次会えるのは外来だね!と言ってくれた。
私も、まだまた会えると思っているせいか
涙より笑顔が勝る。
帰りの道中、振動で
右脚の骨がスカスカでヒリヒリしたような、サーっともげそうなズキズキする痛み
とてもしんどかった。
帰宅後すぐトイレ。お小水に
失敗して、早速母の仕事を増やしてしまった。布団やシーツ、クッションを全部変えた。
私の「大丈夫」は
当てにならないから信用しないことにすると言われた。
その時は良くても、トイレに行きたくなって行けなかった時を想定して動かないといけない。
悔しい。
シーツ交換の間にポータブルトイレに座り、
ベッドに戻ると背骨の激痛が。
車イスに乗っている時間も2時間以上。最近の中では一番長かった。
疲労が、インフルエンザの時のような倦怠感や四肢の脱力を増加させる。
家に着いてから
1時間くらい気を失ったように眠っていた。
背骨が痛い。
明日から体の管理をしっかりやろう。
右脚が痛い。
右脚がとても重たい。
付け根をアイシング。少し楽になった。
ベッドの硬さも、病院の褥瘡予防の柔らかいベッドマットと違って硬いから、身体が慣れるまでは身体の痛みやコリと付き合っていかないといけないと思う。
帰ってきたら
両親は口ゲンカばかり。
私のストレスは母に当たり、
母のストレスは父に当たる。
ごめんね。
2020年4月20日
右腕でプッシュアップして、
ベッドの上で体を起こすのに
慣れてきた。
11時過ぎ〜
母に背中や上肢をマッサージしてもらってほぐしてもらった。
13時過ぎ
福祉用具レンタル担当の松さんに電話。
ご飯を食べる時やものを書く時に
ベッドサイドテーブルが必要。
金曜日に持ってきてもらえるように電話した。
14時
自主リハビリ
右足各関節(股関節、膝、足首)5回自分で動かす
左足部5回母に動かしてもらう。
拘縮予防
18時前
トイレ
21時
トイレ
右足部の痛みが酷い。色は紫色になり、ピリピリとした痛みに顔がこわばる。
今日は計3回トイレに移乗した。
これからも最低3回はクリアしていきたい。
2020年4月21日
夜中はしっかり眠ったみたい。
日中も眠い。
7時起床
7時30分朝食
8時30分トイレ
病院のスケジュールを変えずに、リズムを崩さずにいたい。
◎寝返りの進歩
左向きならば、一人で寝返りできるようになってきた。右向きは上半身のみ。下肢は連動して動かないけど柵を掴んで腕力で。
リハビリ状況によって、シャワーの練習へ移る。
リハビリで移乗に慣れてきたり、シャワーチェアに移れるってなったら試してみよう。
その後どこかの施設で入浴ができるか検討。
バイタル
血圧124/78
体温36.5
かなり疲れるけど
自分でできるリハビリはやりつつ、トイレも継続して頑張ってる。
これにさらにメニューを加えられるようにしたい。
朝方に打とうととみる夢が、
身体の左半身が不自由で
動かない主人公(私)の夢。
夢の中でも不自由。現実でも不自由。
夢は自由な世界。それでも左の下肢麻痺、
進んでも進んでも
変わっても変わっても
動かせない。
夢が怖い。
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コメント
コメント一覧 (1件)
こんばんは!
書くことで気持ちを整理出来るなら
ここに怒りや不満を捨てるのも良いと思います。
背伸びして
ご両親に当たる位ならね。
今まで以上に思うようにいかない事も多いと思います。
でも
ご両親が頑張ってくれるのは有り難いことだと
もう一度思い出してくださいね。
私は両親と言うべき人間が最低な連中でしたから
一緒に頑張ってくれるご両親が羨ましいです。
体もそうですけど
まずいらない感情の捨て方を考えてみてくださいね。